思い出:今頃になって「そうか!」と思った子供の頃の思い出(2)

自己肯定感が低い 日々のこと
自己肯定感が低い

発達障害のことを本で読んだり調べたりするうちに「あー、あれか」と自分が子供の頃のことを思い出します。

子供の頃は発達障害なんて聞いたこともなかったし、自分に問題があるとは思っていなかったので謎ばかりでしたが、今となっては問題大ありだったなぁと感じます。

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私の子供の頃の問題点(気づいてた分のみ)(2)

私は診断を受けていないので適当なんですが、自分では広汎性発達障害のアスペルガー+少しADHDっぽなと思っています。

問題点の1はこちら。

思い出:今頃になって「そうか!」と思った子供の頃の思い出(1)
子供の発達関係の調べものをすると、だいたい「あ、あれか…」と思い当たるフシがあります。私も発達に問題があった子供だということです。子供の頃のことを思い出すとちょっと泣きたくなりますね。

自己肯定感がやたらと低い

小学生のとき、担任の先生が通知表の所見欄に書かれていた文章を今でも覚えています。

長い間「先生はなぜこんな文章を書いたのかな・・・」と思っていたから引っかかって忘れられませんでした。

「テストの点が悪い時は自分の努力が足りなかったと反省し、良い時は運が良かっただけと思っているようです。」

通知表を見た母は先生が記入する所見欄を指さして「なにこれ」という風に私に見せました。

私は教科ごとの部分のみを見ていて所見欄は見ていなかったので初めてそんなことが書かれていることを知りました。

文章を読んで私が思ったのは「なんでこんな当たり前のことを指摘するのかな?先生は何を言いたいの?」でした。

今なら「テストの点が良いときは自分が努力して頑張ったから良かったのだ(なのか?)」と考えるのが一般的と解るのですが、その当時はまったく理解できず。

母もナニコレと言った以外はそのことにまったく触れなかったので、謎のままで心の隅に残りました。

大きくなって育児本を読むようになり、その思考がボンヤリとですが自己肯定感が低く自分に自信がないところから来ているのではないかと、やっと気付きました。(あ、もうその頃のことをあまり覚えていないので、単に本当に勉強まったくせずにテストは博打みたいな感じだったのかもしれないけれど・・・。)

なぜ自己肯定感が低いのか?理由は育てられた環境?

私の母は何でもソツなくこなす優等生タイプです。

何でもできるので「なんでこんなことができないの?」「やればできるんだから(私の子なんだからできないはずはない)」「私が子供の頃は~(とても優秀だったという話)」という感じで育てられてきました。

中でも短期記憶の苦手な私のことを一度聞けば覚えられる母は「ちゃんと聞いていないからできないのだ」といつも言っていました。「授業中は先生のいう事をしっかり聞いていれば自宅で勉強なんかしなくても大丈夫」というのが母の持論。

母とは正反対の短期記憶が弱く手先も不器用で運動神経が鈍い私。

板書が苦手で書いている間は先生の話を聞けません。書くのも遅いので、母のいう通りに授業を受けることは一度もできませんでした。努力はしてみたんですけどね。どうしてもどちらか(板書or話を聞く)ひとつしかできません。

結局「授業中は板書のみに集中。自宅で教科書を読んでノートと照らし合わせて理解する」という方法に落ち着きました。

なので「授業内で九九を暗記してひとりずつ発表し、できた順に開放。できないといつまでも居残り」のようなその場で暗記の課題になるとクラスでビリから数えたほうが早かったなぁ・・・。

まぁ、出来が良くない子でした。それでもテストで良い点を取ったり褒められるような事があると「えらい!さすが私の子!」と褒められました。

これって褒められ・・・てますかね?私には「私すごい!」と聞こえてましたけど・・・。

子供の頃から母親へのモヤモヤは山ほどあります。子供の頃はこれが当たり前で、大きくなってからは「何かおかしい」と反発し、自分が母親になった今は「母の言い方はまずかったが、悪気があってやっていた訳ではない」と思っています。

私の自己肯定感が低いのは母の言動のせいだけではなくて私の性格によるものが大きいと思うし、褒められた記憶はあります。褒めてたのは私じゃないのではないかと思っていただけで。

それが私の曲がった性格ゆえなのか、育てられ方からなのかはわかりませんが、私はどこにいても落ち着かなくて人に迷惑かけているようで消えてしまいたいような気持になるのです。

人を褒めるということ

自分の生きづらさからなんとか子供には同じような気持になってもらいたくないと、褒めるようにしています。

でも、そもそも褒められてるようで褒められてないような経験しかない私。どうやって人を褒めたらいいのかがわかりません。

いろいろ本を読むと「他人の服装とか目についたものをなんでもいいから褒める。」というような事が書いてありますが、なかなか・・・。

子供を褒めるのも、本当はあっさりしてて足りないんだろうなぁ。

たまに愛情いっぱいなお母さんと子供の様子を観察して「・・・すごい」と思ったりします。絶えず子供に喋りかけてテンション高く楽しそうに笑っています。

あれか!あれを目指すのか!!そう思って頑張りますが、1時間後くらいにはぐったり。

そんな私に母は「子供は褒めておだててチャレンジさせるのよ!」と言い、孫(こども)に向かって褒めていろんなことを覚えさせようとしてきます。私は褒められた記憶はないんですが・・・。

子供はおばあちゃんが大好きで、何でもスルスルと吸収して記憶します。正直複雑です。

母が年を取って丸くなったのか(今でも自分スゴイの話は健在ですが)、それとも私の受け取り方が歪んでいたのか。

よく解りませんが、一つだけ解っているのは子供は私に似てひとつ失敗すると「できない!もうダメだ!ちーはもうダメだぁぁぁ・・・」と泣き崩れる失敗に弱いタイプということです。

そんな孫の様子を見て、母は「何言ってんの。こんな事くらいで泣くなんてバカじゃないの。」と普通に言います。本人の前で。

母にはこういう気持ち、一生理解できないのだろうな…。

私はこういう子供の気持ちに寄り添って、自分が言ってもらいたかった言葉を子供が落ち着くまで「大丈夫よ」と言ってあげることから始めたいと思います。

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気付き:おむつに執着するのは「失敗したくない(白黒思考)」だったのか!
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思い出:今頃になって「そうか!」と思った子供の頃の思い出(1)
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