子供の頃の記憶:やってもらった嬉しいことはすぐ忘れてしまう。

母親に抱っこして欲しかったの 日々のこと
母親に抱っこして欲しかったの

先日、実家に遊びに行った際に孫に甘い母が「幼稚園のバッグ作ってあげようね」と言ってくれました。

母は手先が器用で作るのが得意なのでぜひお願いすることに。

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子供に手作りバッグを作ってもらいました

本を見ながら子供にどんなものがいいか聞き、一緒に布を買いに行きました。

親がいいと思う布はほぼ却下され(子供は出来上がりデザインが想像つかないのでキャラクターものの布に目がいってしまう)仕方がないので子供の希望の布を少しと安いカット売りの布(メインはこっちで作る)をたくさん買い込んで帰りました。

2週間ほど経ってから遊びに行くと、上履き入れと絵本などを持ち帰る大き目のバッグと斜め掛けバッグとリュックが出来上がっていました。早い・・・。

かわいいレースやリボンが使われたフリフリ(子供希望)のピンクのバッグは本で見たとおりの出来栄え。さすがです。ありがとうございます。

母には子供が生まれてからいろんなものを作ってもらいました。

手袋、マフラー、あみぐるみなどの編み物系からバッグ、浴衣、サマードレス、雛祭りのさげもんまで・・・。作るのが好きでだいたい1日で何でも作ってしまいます。

そんな母の影響が・・・私にはほぼ無く、面倒くさがりで飽き性なのと母が率先して嬉しそうに作ってくれるのでおまかせしているうちに、子供のまわりは母の手作り品に囲まれて、私が作ったのは歯ブラシ入れの袋くらいのもんです。

手作りバッグを見ながら過去の記憶を探る

そんなばぁば任せの母を子供に申し訳ないなぁと思いながら母の手作りバッグを眺めていると、自分の子供の頃はどうだったかなぁ・・・という気持ちになってきました。

母に作ってもらった手作り品・・・。そういえば私も子供の頃からいろんなものを作ってもらっていた気がします。

赤ちゃんの頃の写真はだいたい手編みのものを着ています。

その頃母は趣味が高じて立派な編み機を購入していたので、ご近所さんからの依頼も受けて制作を楽しんでいたと聞いたことがあります。

シャツやスカートもよく作ってもらっていました。リュックもだいたい手作りだったなぁ。

数年に一度はお正月用の着物も作ってもらっていました。日舞もしていたので浴衣もたくさん。

あぁ。本当にいろんなことをしてもらっていました。それなのにどうして「愛されていない」と思っているんだろうなぁ・・・。

なんだか自分の存在を母の着せ替え人形的なものという風に感じていたのかもしれません。

物を作ってもらうこと=愛情ではないと思いますが、何かしてあげようとか作ってあげようと思うということはそれなりに愛されていたのではないかなぁと思うのです。

ただ、作ったものを着せられてまわりの人に褒められて嬉しそうにする母親のことを見て「あぁ、母自身がみんなにすごいって言われたかったのだな」と思ってしまっていたような気がします。

すごい嫌な考えだけれど。普通なら「私のためにこんなに素敵なものを作ってくれて、お母さん!ありがとう!(私、愛されてる!)」というのかもしれないですね。

なぜこんなにひねくれてしまったのだ?

いつからこんな風にひねくれてしまったんだろうなぁ・・・。考えてみますが、まったくわかりません。持って生まれた性質なのかなぁ。いつからそんな風に感じるようになったんだろう。

母に大好き!大好き!!というのは言われては来なかったし、わりと「あなたは馬鹿ね」と言われて育ってきたのでそのせいもあるのでしょう。

子供の頃は祖父母と一緒に暮らしていたこともあり、末っ子で兄弟もまわりにいたので、母以外の人には誰よりも可愛がってもらっていたのではないかと思います。

それでは足りなかったのか?もしかするとまわりに面倒を見てくれる手(祖父母や兄弟)がたくさんいたことで、母からはあまり相手にされていなかったのかなぁ。

そのせいで特別に母から愛されたいと思っていたのかも??たったそれだけのことで、こうなるものなのかな?

私の自己肯定感の低さは「母に自分を見て欲しい」と思う気持ちから来たのか、それとも基本的な自分の性格などから来たのかわかりません。

ただ、母親がいない人だって世の中にはたくさんいるし、母親以外の愛情をたくさん受けてまっすぐ明るく成長する人もたくさんいるでしょう。

そう考えると、母のことはただの引き金であってそもそもの原因は自分の性格や持って生まれた特性が災いしているんじゃないかなぁと思うのです。

人並みに愛情を注いで育ててくれたと思われる母や私のまわりの人々に申し訳ないなぁ・・・と感じてしまいます。

たくさん愛情もらったのにうまく受け取れなくてごめんなさい。形になった物を見てなんとなく愛されていたのかも?と感じる自分に改めて気付かされました。

(追記)

昔の記事を見ていると、毒親に気付いていなかった頃の記事はやっぱり自分を責めることで終了していたのがわかりますね…。

「あたしおかあさんだから」と「あたし猫飼いはじめたから」
「あたしおかあさんだから」の歌詞を毒親育ちが聞くとぞっとするのですが、「あたし猫飼いはじめたから」の歌詞はほっこりします。あなたのために我慢していると直接子供に言う親は、子供のことは考えていない。
私の場合:自分が毒親の毒にやられているのだと再認識するとき
自分が毒親育ちなので、同じような子育てをしてしまわないように意識しています。自分がやられて嫌だったことは人にはしない。私はこんなに苦労したんだからお前も同じ苦労を味わえ!とは思わない。
毒親:忘れていた子供の頃の面倒くさい事(毒)を思い出してしまった・・・
言葉の暴力を受けて育って来た子供は、自分を責めます。ずっと親との関係性に苦しみます。なんとか関係性を修復したいと考えるけれど、でも、関わらないことが一番。関わるとまた取り込まれるよ。

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