「あたしおかあさんだから」と「あたし猫飼いはじめたから」

猫はしあわせのかたまりだ

だいすけお兄さんの曲「あたしおかあさんだから」の歌詞について大騒ぎになっていますね。歌詞を見てみると、あぁ…これは燃えるだろうなぁと感じました。

そうなんだけど・・・となんかモヤモヤ

私も我慢してる部分はあるのだけれど、なんだかあの歌詞をみていると心がもやもやします。いや、我慢している部分もあるんだけどそれだけじゃないし。全体的に言葉が足りてないです。押し付けられていると世の中の母親が感じても仕方ないかも。

我慢しているとかしていないとか、そんなの人それぞれなのでなんとも言えないのに「我慢してるんでしょ」と言われているようでもやもやするのです。母親=自己犠牲というのが透けて見える感じが出てるのかな。確かにお母さんへ向けての応援歌とかがんばってるねという気持ちを込めて作られたのかもしれませんが、子供には聞かせられないなぁ。

毒親は「わたしがこんなにやってあげてるんだから(見返りを要求)」と言いますが、あの曲を聞いて子供がお母さんが自分のために我慢をしていると思ってしまったら辛い。子供を持つ前の女の人が「そんなことになるなら子供産まない」というかもしれません。そう考えると、もう呪いと言われても仕方ないかな。

「あたし猫飼いはじめたから」が素敵

今回の騒動をぼんやり見ていたらネット上で「あたし猫飼いはじめたから」というのも見つけました。「わたしおかあさんだから」を聞いた方がネット上にあげた替え歌なのですが、それがなんとも秀逸だなぁと思いました。うんうん。すごくよくわかる!

猫を飼いはじめたから変化した生活の様子を「わたしおかあさんだから」と同じように描かれていますが、もう溢れんばかりの猫への愛情が表現されています。そうなんだよ。猫飼うとこうなるけど、それは我慢してやってる訳じゃなくて、猫のためにウキウキイソイソと飼い主が勝手にやってしまう内容なんですよ。我慢じゃないんだよね。

私はおかあさんで猫飼いです。おかあさん歴より猫飼い歴のほうが長いです。みんな愛する私の家族です。同じように大事に思う存在を歌う歌がなぜこうも違ってしまうのか。我慢してる訳じゃないよね。好きなんだもん。だから喜んで欲しいんだ。ただそれだけなんだ。

猫を飼い始めたら旅行行けないでしょう?と言われたりするけれど、旅行は行けるよ。ホテルに預けて。ただ、行っちゃうの?と悲しそうな様子の猫の顔見たくないし、知らない場所に預けられて不安だろうなと思ったり、旅行中に猫のこと思い出して会いたくなって泣きそうになるのは飼い主のほうなのよ。

それって小さい子供を預かるから息抜きに街に出ておいでと言われて自由時間を貰ったけれど、子供今頃どうしてるかなぁ・・・って思ってひとりの時間をあんまり楽しめないお母さんと何も変わらないと思う。

我慢じゃないの。私がそうしたいだけ。

あぁ。こんなことを書くとこれも呪いになるんだろうか。でも、猫のと子供のと私にとってはそう変わらない。好きだから喜ぶ顔が見たいだけ。我慢じゃなくて、私がそうしたいと思ったからそうしただけ。我慢じゃなくて自分のためだ。

あの曲を聞いておかあさんになったらみんなあんな思いをするのか・・・と思う人ももしかするといるかもしれないけれど、そんなことはないのです。自分がしたいと思ったことをしたらいい。ネイルだってやってるお母さんはいっぱいいる。私はめんどくさがりなのでしないけれど、したら子供は「きれい~」と褒めてくれると思う。

他のお母さんと自分を比べてまったくいいお母さんではない私を子供には申し訳なく思うけれど、できる範囲でできるようにしたらいいかなと思う。大事なのは子供と一緒に笑って楽しく面白く生活することだよね。

朝も早く起きないし、子供と美味しいもの取り合っちゃう。服も買うしヒールもはくよ。・・・あれ?やっぱり全然歌詞通りの母親じゃないないぁ。我慢じゃないのと言いながら、自分は全然我慢してないんだなと改めて思いました。いろんなおかあさんがいていいんだと思う。お母さんが我慢したり楽しくなかったら子供も喜ばないもの。

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