他人との境界線:絵本の中の事を恐れたり、友達が叱られるのを恐れる。

他人との境界線が曖昧だと自己肯定感は育まれない 気になる特徴
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先日、幼稚園からのお便りに「園の入り口や周囲の道路で遊ばないようにしましょう」という注意書きがありました。

園の玄関先でお友達とふざけて遊ぶのが日課になっていた子供にお便りの内容を読んで「これからはやめようね」と伝えたところ・・・問題発生しました。

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お便りの注意を伝えたら、子供が挙動不審になった

前々から「危ないから車の来るかもしれない場所で遊ばないで」と注意していたのです。でも、子供はお友達と遊ぶのに夢中でなかなか聞いてくれませんでした。

いつも気になっていたので幼稚園からのお便りをみて「ほら。先生達もあそこで遊んだらいけないよって言ってるよ」と伝え、明日からは遊ばないようにと伝えたのでした。

すると子供はエッ!と驚いて固まり、次の日から異様に怯えてお迎えに行くと逃げるように帰るようになったのです。

それまでは一緒に帰っていたお友達の事も避けるようになってしまいました。「友達と帰る → 友達がふざける → 一緒に怒られるかも」という不安のためです。

ショック!知らない間にいけない事をしてしまっていた

うちの子は外では「していはいけない事」は絶対にしません。もし、気付かずにやってしまって注意されると、ショックで泣きながら反省し、その後は絶対にしないようにします。

「もう絶対にしない」と思うあまり、その事柄に関連する全てから距離を置こうとするのです。

例えば怒られた場所が公園であればその公園には絶対に行かなくなるし、同じような事をしてしまいそうな場所(似た場所)にも行かないと言い出します。

自宅でしてはいけない事をして私に怒られるのは、慣れているのかそんな事にはならないのですが、外で他人に怒られたりするともうダメです。

お父さんに怒られても同じようになります。なので、これまではお父さんと子供の関係はかなりぎくしゃくしていました。

私はこれまでこの子供の様子をみて「叱り方が難しい子」という認識だったのですが、今回は私が言った言葉(幼稚園からのお便りの注意を伝えるという行動)で、同じような問題が起こりました。

子供は幼稚園からのお便りで「自分が叱られた」と感じたようです。そして、子供は現在も「幼稚園の先生に叱られてしまうかも」と不安に思っています。

今回のことで改めて気付いたこと

最初のうちに私が「してはいけない事だ」と伝えておけば良かった

まず、道路や園の入り口で遊ぶことはしてはいけない事ですよと子供にしっかり伝えられていなかった事が問題だったと思いました。

他のお母さんやお子さんも遊んでいたため、子供がしっかり「いけない事だ」と理解できるように注意できずにいました。

みんなの前ではうまく言えなくても、後で子供と二人になった時にでもしっかり伝えておけばよかった。

そのせいで子供はきちんと「してはいけない事なのだ」と理解できず、逆に「してもいい」と学習してしまっていたのです。反省。

幼稚園からのお知らせをそのまま伝えてしまった

次に、幼稚園からのお知らせを見て軽い気持ちで「幼稚園からのお便りにも遊んではいけませんって書いてあるよ」と子供に伝えてしまいました。

それを聞いて、子供は「幼稚園から私が叱られた」と感じたようです。幼稚園からのお便りはみんなに向けたお便りです。でも、子供は「自分が叱られた」と感じたのです。

これは、子供の「他人との境界線が曖昧」という発達障害の特性のため起こった事です。

全体に向けて注意していても、こういう特性を持っている子は他人と自分との境界線が曖昧なので「自分が叱られた」と感じてしまうのです。

例えば、お友達が先生に叱られたのを見て、自分が叱られたような気持ちになって泣いてしまうとか。小さい子供はよくありますよね。

これは「他人との境界線が曖昧」なために起こることで、境界線がしっかりひけるように成長すると「自分の事は自分の事、他人の事は他人の事」と区別できるようになっていきます。

しかし発達障害児の場合はこれが苦手な子も多く、健常児のように成長過程で自然に習得していく事が難しいのです。

他人に起こる出来事を全部自分に起こった出来事として感じていると、集団で生活している間は気が休まることはなく、ぐったりと疲れてしまいます。

正に私もこの「他人との境界線が曖昧」なまま成長しているので、人との付き合いが苦手なんですね。

私が幼稚園からのお便りの内容を子供に伝える際に「幼稚園に通っているお友達みんなに、幼稚園からのお願いが書いてあるよ」と伝えればよかったのです。

でもそれをしなかったので、子供は「自分(だけ)が怒られた」と感じてしまいました。反省です。

うちの子は「叱られるのが苦手」ではなく「他人との境界線が曖昧」なのだ

ということで、私は間違っていました。うちの子は「叱られるのが苦手」「大きな声が怖い」だと思っていましたが、実は「他人との境界線が曖昧」で全ての事を自分に向けた事と認識していたのです。

自分が叱られていないのに、叱られた気分になっているのです。という事は、実際は叱ってないのにめちゃくちゃ叱られまくって自己肯定感が下がった状態に勝手になってるという事です。おー!納得!

子供の事も自分の事も含めて、自己肯定感を育くむのって難しいなぁ・・・と思っていましたが、他人との境界線が曖昧なままだと、勝手に自己肯定感が下がるのだとすれば納得できます。それは育まれないわ!

私が子供や自分の自己肯定感のためにするべき事は「叱り方を気にする」のではなくて、「他人との境界線を意識させるようにする」事なのですね。

他人と自分の境界線をしっかり認識するためにできる事

子供に「主語」をしっかり認識させる

以前から子供の会話で「主語」が無い事が気になっていました。主語が無いまま話をするので、言っている意味が解らない事が多かったのです。

これも「他人との境界線が曖昧」なことが原因だったのでしょう。いつも「え?誰のこと?あぁ、お父さんが?」と軽く流していました。

会話を聞いて主語が無い場合は「誰が?」「誰の事を話しているの?」と、しっかり子供に質問して子供に自他の区別をつけさせ、主語を認識させることが大切なのだなと思いました。

絵本を読んで自分と他人(登場人物)の区別をつける

最近、子供が全然絵本を読ませてくれなくなっていました。単純に悲しいお話や痛い事が起こるお話が苦手なのかなと思っていましたが、「他人との境界線が曖昧」なことが原因でした。

もうね、さるかに合戦だとかにのお母さん死んじゃうし、さるはうすに押しつぶされて死んじゃいます。はなさかじいさんのポチなんか殴り殺されちゃいます。

最近ではそういう昔話をハッピーエンドに作り変えた絵本もありますが、そういうのでは物語の本当の意味を知ることができなくなってしまいます。

長い事語り継がれている昔話を通して得られる人生教訓とかね。そういうの、大切ですからね。

・・・でも、このままだとうちの子にとっては「絵本=怖い事や痛い事が起こる(疑似体験)」になってしまいます。

痛くない悲しくない絵本でしっかりと自分と他人の境界線を意識させてから、区別ができてきた状態で痛かったり怖かったりする話を読んで「痛い思いをしたのは主人公で自分ではない(自分は痛くない)」と思えるようにしよう。

絵本を読んで「怒られたのは自分ではなくて主人公」と思えれば、実生活でも「お友達が怒られている(自分ではない)」と思えるようになっていくかも。

「他人との境界線が曖昧」という問題はいろいろな悩みの大元

これまでも「子供がなぜか絵本を読むことを嫌がるようになった」とか「お父さんとの関係(叱り方?)」とか、小さな悩みがいろいろありました。

今回の「他人との境界線が曖昧」という事を認識してみたら、あれれ?私の悩んでいた事のほとんどはこれを大元にしているのではないかな?

この境界線問題をクリアできれば、すごく大きく子供が成長できる気がします。

失敗するのが苦手だから小学校に入ってから困ったりしないように、今から先取りで勉強させておこうとか思ってました。気の使い方間違ってた~。

物事のほとんどは他人との境界線を意識して、自分のメンタルを正常に持って行く事で解決できそうです。私の人間関係疲弊問題も。意識改革やってみよう。

「他人との境界線が曖昧」になると、他人が自分の思ったとおりに動かない時に怒りが沸いてくるようです。どうして思った通りにしてくれないの!?という訳です。

境界線がきちんと引けると「そりゃ他人だから思った通りには動かないよね」「他人だから自分と違う考えの事もあるよね」と納得して怒ったりはしなくなります。

他人の言う事にいちいち反応しなくなるので、メンタルが安定するそうです。うわー、大事。親にとっても大切ですね。

だって「子供は自分とは別の人間なんだから、自分の思った通りには動かないし成長しないよね。まだまだ生まれてから数年しか生きてないもんね。」と思えれば「なんで言った通りにできないの!」という怒りは少なくなります。

頭では理解していても、心の深いところでは自分と子供の境界線が曖昧になっている事って多そう。うちの母と私の関係もそうだったと思う。なので母は私の事を思い通りに動かそうとするんですね。

このあたり、もう少し勉強していこう。なんか良い本無いかな~。

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