私の場合:自己肯定感が低いと恋愛関係はこうなる

自己肯定感が低い人の恋愛 日々のこと
自己肯定感が低い人の恋愛

私が発達障害かどうかは素人なので判断できませんが、自己肯定感が著しく低いことは自分でも解ります。

自己肯定感が低い私のこれまでの恋愛関係を思い返してみたいとおもいます。

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軽い悪意も好意もうまく気付けない

基本的にオブラートに包んだような悪意や好意には気付きません。

後で思い返すと「あぁ。あれってそういうことだったのか!」と数年後に気付いたりはしますが、基本的にがっつりとイジメが始まるまで悪意には気付かないし、「好き」と告白されるまで好意には気付きません

もし「あれ?」と思う事があったとしても「そんなバカな。私のような人間を好きな人がいる訳がないし。もしかして好意を寄せられている?と思うなんて、自意識過剰すぎて恥ずかしい。」と思ってしまいます。

姉といつも比べられてきました

私には姉がいて、いつも「お姉ちゃんは綺麗ね」と言われて育ちました。

「・・・妹さんはかわいいタイプね」と最後に言われることもあったけれど「あぁ、姉と違って美人ではないから気を使ってフォローしているんだな」とこれだけは鈍感ながらも気付きます。

言われるたびに人よりも劣っているダメな自分を認識して悲しくはなっても嬉しくなることは無かったです。

自分に愛される価値があるのか疑問に思う

そんな私なので他人から「好き」という気持ちをぶつけられると、まずびっくりします。

私のことを好きなんてそんな事があるはずがない

その人が見せる「私がかけた言葉や行動で一喜一憂する姿」に衝撃を受けます。なんてことだろう。私が言った言葉でこんなに喜ぶ人がいるのか!!と思ってしまいます。

自分の好みというものもあるにはあるけれど、一般的に素敵な人は自分のことを好きになったりはしないという気持ちがあるので告白とかはしたことがありません。

告白してきてくれた人の中で性格的に合いそうな人とお付き合いしてきました。自分の好きな人から告白されて両想いとか、そんなの綺麗な人達だけのことだと思ってます。

自己肯定感が低いと自分を好きになれない

自己肯定感が低いと「自分は他人に愛される価値がある人間ではない」と思うそうで。

私も「私のことを好きなんて、なんて変わってる人なんだろう。でも有難いことだからきちんと向き合わなきゃ」という感じ。

たぶん自己肯定感が低い人は「認められる」とか「求められる」とかに弱いと思う。

ずっと自分を否定されてきたので、そういう感情を向けられるとそれだけで嬉しくなってしまうのです。

相手の気持ちに答えるばかりで揉めることも多い

自分は存在していていいんだ。必要としてくれている人がいる。そう思う気持ちは純粋に私の心を満たしてくれます。

そんな気持ちに答えたいという思いもでてきて、そのうちにその人が大事な人に変わることもありました。

自己肯定感が低い人がお付き合いすると出てくる問題

でもお付き合いするうちに好きになることもあれば、よくよく知った相手の中身をまったく受け付けられずにダメになることもありました。

そういう時は必ず別れる時にゴタゴタしてしまってストーカー行為を受けたりしていました。

だいたい自分の気持ちにも相手の気持ちにも鈍感な人間なので、気付かないうちに人を傷つけてしまうことも多いです。

相手も水面下でお互いの好意を認識したりせずに、ボーッとしている私に突然どーんと告白してくるような押しの強いタイプなので揉めるのです。

だって相手にしてみたらいくらアプローチしてもまったく気付かないような女ですから。そして、そこを乗り越えてお付き合い始めるような相手です。

そりゃあストーカーにもなるよね。というかそういうタイプの人としか付き合ってない。だってそういうアプローチしか気付かないんだもの。

自分はそういうタイプと縁があることが多いと認識して気を付けていて、ちゃんと好きになれそうか考えてお付き合いを初めているつもりです。

ですが、他人から気持ちをぶつけられるとつい嬉しくなってしまう。応えたくなるんです。

「愛されたい」「満たされたい」「必要とされたい」という気持ちが強すぎるのかもしれません。

母との関係も原因かもしれない

最近は「毒親」という言葉もよく聞きますが、自己肯定感が低い原因は母との関係もあるかもしれません。

実家は「自分を褒める」母を中心に回っている

うちの母はとくに自分を上げて相手を下げる話し方をします。

褒められた記憶があまりなくて、褒められてもなんというか母のためによくやった!と言われているような感じというのか・・・。

母と話をしていると「兄弟の中で一番手のかからないできた子だった」と言われます。

あぁ、この言い方がまた・・・とも思いますが、とりあえず母的には私に対して辛く当たったりひどい態度をとった記憶は無いようです。

でも、私は「理解してもらえない」「目を向けられていない」「愛されていない」と感じていました。母と私の認識にはかなり違いがありました。

愛されたいという願望はこの親子関係から発生しているのかも

周囲から見ると良い母親だと認識されていたし、私もいろいろとしてもらった記憶はあるのに・・・でも全然満たされていないのです。

実家から出て母と離れてたまに会うようになってからはそれなりの関係が築けていますが、母はたぶん寂しいと思っているようです。

でも私は離れてから認識した自分の心というか、押し殺してきたドロドロした母への気持ちが抑えられるくらいの頻度でやっと会っています。母と付き合うには距離が必要だと感じます。

長く滞在するとまた母に絡めとられそうというか、恐怖が襲ってきて反発してしまう。離れると本当の自分に戻ったようにほっとするのです。

流されの中にも違いがあった

現在夫と結婚して子供もいる訳ですが、夫とも流されてお付き合いを始めました。

結婚するまで至った夫との関係

ただ、これまでの人とは違って私の素の自分をきちんと出しても大丈夫な人だったのでこの人なら一緒に生活できるかもしれないと思ってここまできました。

他の人には言えなかった事や見せられなかった姿を、わりとアッサリ見せることができたので結婚しました。なぜかな。自分のダメな所も受け入れてもらえると感じたからかも。

私には夫の気持ちが細かく解らないので本当に結婚生活がうまくいっているかどうかは謎ですが、今のところなんとか続いています。

子供にとって母親の影響は凄まじい

自己肯定感が低い人がどうやって恋愛をうまくやっていったらいいのか・・・。

失敗も多かった私が言えることは何もありませんが、自己肯定感が低いことが恋愛や結婚に大きな影響があるということは声を大にして言いたいです。

子供を育てる立場になって初めて自己肯定感を育むことの大事さと大変さに気付きました。

全ての原因が母ではなく、自分の性格や特性でそうなったという部分もあるとは思います。

それでも母という立場は子供に良くも悪くも影響を与えやすいと思うので私も気を付けて子育てしていきたいと思います。

母親が子供をコントロールするのは正しい事なのか?

母は私から見たら「自分の都合の良い様に子供を操る」のですが、母から見たら「正しいと思う道へ導いてあげている」のでしょう。

無駄を省いて物事をスムーズにすすめるために、母としては子供をコントロールするのです。

家事に育児に仕事に忙しい時、子供には毎日の行動を滞りなく進めていって欲しいなと思うことはよくありますよね。小さい頃なら「ほら!手洗って!うがいも!上着は掛けて!」って感じ。

何度も言わなくてもサッと済ませる子なら、手がかからなくて親としては楽なのです。

親となった今はその気持ちもわかるけれど、今でも嫌だと思いながら母の意向に背けなかったり、母が喜ぶ選択を率先してとったりする自分に気付くと怖くなります。

母の口癖は「私の言う通りにしていたら間違いない」でした。

子供の頃の手洗いくらいならいいのですが、大きくなってからもずっと言う事を聞き続けるような関係性はおかしいし、それはひとりの人間として子供を見ていない状態だと思います。

「認められていない」「愛されていない」という気持ちはこの親子関係から出てきたのかも。

私は子供の気持ちも大切にしたいし、好きなことをのびのびさせてあげたい。自分の考えをしっかり持った人になって欲しい。

でも、自分がこういう環境で育ったので、ふとした時に母と同じような言動をしそうになるので怖いです。

あー・・・子供も私と同じようになったらどうしよう。

★☆ 自己肯定感シリーズ ☆★

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